占星術の歴史 その2

   

占星術の歴史 その1からのつつぎ…

中世から近代

 中世になると天文学と占星術が袂を分かちはじめます。 だからといって民衆から占星術に対する不信感が芽生えたとは言えないようです。 16世紀以降の天文学は飛躍的発展を遂げていくが、それでもヨハネス・ケプラーやアイザック・ニュートン、デカルトといった 名を残した科学者たちは占星術を支持する立場をとっていたことが知られています。 むしろ二流三流の学者たちが占星術を誹謗中傷していたように思えてならない。
 ケプラーの法則で有名なヨハネス・ケプラーは「惑星運動に関する三法則」を導きだし地動説を優位にした人物である。 そんなケプラーであっても生活費のほとんどは占星術で稼いでいたといわれ、 落ちたリンゴをみて「万有引力」を導き出したアイザック・ニュートンも侯爵家の御用達占星術師として生活していました。 ケプラーは「惑星のアスペクトが示すとおりに行動していたので、私は失敗しないで済んだ。」と豪語していたといいます。
 またシェイクスピアやゲーテといった作品の中にも占星術に関係した事柄が示されているように、 庶民の中に占星術は生きていたようです。しかしこの時代を境に天文学と占星術は乖離していきます。天文学は自然科学として、 占星術し運命学として今後は別々の道を歩みだしました。
 

近代から現代

 18世紀以降一時的にではあるが占星術が下火になったときがある。中世ヨーロッパではキリスト教の弾圧に起因するところが大きいが、 近代では科学者の誹謗と迷信呼ばわりされたことによるものが大きい。そんな沈滞期にあったなかで、ウィリアム・ハーシェルが天王星を、 ジャン・ルブリエとジョン・アダムスらによって海王星が発見されたのです。
 近代科学という威圧のもと、占星術が眠りから覚ますには当時流行していたオカルトブームに力を借りなければなりませんでした。 19世紀末に登場した超能力者ブラバツキー夫人による神智学運動によることが大きいだろう。神智学協会からは多くの占星術師を輩出した。 英国占星学会を起こしたチャールズ・カーターやアラン・レオ、マーガレット・ホーンなどもここの出身である。
 その後も多くの占星術師が誕生し様々な技法が提唱されていきます。 ウッディはウラニアン天体を提唱しハーフサムについても研究しています。 アディはハーモニクスを、ルディアとジョーンズはサビアンを提唱し現代に根付いています。
 またさらに現代ともなるとコンピュータによる計算が占星術師の研究を助けることになります。 複雑な天文計算や大量の統計的処理を行い、複雑な技法も編み出されていきます。 一方、伝統的な技法と解釈に戻ろうとするグループやオカルティクな視点からアプローチをしようとするグループ、 心理学的アプローチを試みようとするグループなど多様化を迎えているといっていいでしょう。

日本での西洋占星術

 占いや占星術という思想に関しては日本の飛鳥時代に中国から伝来したといわれる。 本格的な西洋占星術に関する知識は明治以降にならなけれは日本には入ってこなかった。 欧米へ西洋文化を学んだ人々によって少しずつ国内に紹介されはしたが、 本格的に西洋占星術が広まったのは戦後にならなければならなかった。
 明治以降に活躍した日本人として、隈本有尚氏や石川源晃氏らがいる。
 隈本有尚氏は大正時代に占星術(本人は考星学と呼んだ)を紹介した人である。 逸話としてだが山一證券の創業者小池国三は、隈本有尚氏の占星術による景気予測によって巨万の利益を得たとされる。
 またもう一人の石川源晃氏は帝国海軍の大尉という肩書を持つ異色の人物で、 占星術を学ぶだけでなく「石川分割調波」をはじめとする新しい手法をいくつか発明し、日本における占星術の水準を飛躍的に高めた。 但し石川源晃氏の西洋占星術は一切のオカルト、神霊的な要素などの曖昧な概念を全て排した手法であり、 厳密で精緻かつ科学的な分析は日本占術界において研究者として孤高の地位へと追いやってしまったという。
 その後、昭和中期以降になると西洋占星術に関する書籍も増え、占星術を学ぶ人々が増えブームの基礎を築きました。

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credit:NASA

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